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隈部:熊本県で生まれて千葉県で育ちました。幼い頃から自然の中で遊ぶのが好きだったのですが、当時住んでいたのはベッドタウン。自然豊かな場所での生活に憧れていて、その中でも四万十川が大好きだったこともあり、高知県にある高知大学に進学しました。そして、卒業後に東京に戻り、コンサルタント会社に就職しました。
崎谷(ライター・インタビュアー):なぜコンサルタント会社に就職されたんですか?
隈部:当初、大学卒業後はクリエイターになろうと思っていました。ただ、その前にビジネスの基本を学べる職種に就こうと思い、コンサルタントを選びました。ちょうど上場直前だったこともあり、朝から深夜まで仕事漬けの日々。やりがいもあったし、報酬も高く、それなりに稼いでいたのですが、プライベートは皆無でした(笑)。
そんな中、父親が自営していた会社(株式会社イメージ・ジャパン)が忙しく、人手も足りなかったっていうのと、コンサルティングの仕事もそろそろ…、というタイミングが重なってイメージ・ジャパンに入りました。そこからクリエイティブ全般、マーケティング、営業を担当し、ニーズに合わせサービスを拡充し、今に至るって感じです。
隈部:逗子に引越ししてくる前の話ですが、仕事場が東銀座だったのでオフィスから近い東京・大田区のマンションに家族で住んでたんですね。東銀座まで電車の乗り換え無しという事もあり利便性は良かったんですが、4人目の子供がお腹の中に宿ったタイミングで、「もう都内のマンションじゃ厳しい」と感じたんです。
それから子供をよく湘南方面に連れて遊んでいたり、僕自身も学生時代から自然で遊ぶ環境が大好きだったので、じゃあ自然に囲まれているところに住もうと考えました。ただ逗子に住むって考えた時、職場から遠くなるんじゃないかなとかなり抵抗がありました…(笑)。なので、引越しを決めた当時は横浜周辺の田舎っぽいエリアを探していたんですけど、その辺りもあまりピンとこなくて。
父親が日本画を描いてるんけど、そのアトリエが長野県にあって、家族で父親の家(長野県)に行くことになったんです。そしてその帰り道に、妻と「ああゆう家が良いなぁ」なんて話し、横浜周辺なんかじゃなく振り切って自然が溢れている所に住もう!って決めました(笑)。そこから鎌倉・逗子エリアで物件探しを始めて、すぐに物件を決めました。
崎谷:逗子に住んでみて居心地はどうですか?
隈部:本当に引越して良かったなって思ってます。今住んでる家は丘の上にあるので、朝日が昇ってくるのが見えたり、朝早く起きることが多いので早朝に釣りに行ったりサイクリングしたり、たまにSUPとかもして、楽しく過ごしてます!
崎谷:本当に自然と隣合わせのライフスタイルっていう感じなんですね!
隈部:そうですね! 自然が本当に近いので庭にリスとかタヌキとかも出たりします(笑)。
崎谷:先ほど隈部さんが言っていた「通勤」に関してはどうですか?
隈部:それが意外と逗子に住んでみたら東京まで近いってことが分かったんです。東京・新橋駅まで電車で1時間ぐらいで到着するんですけど、逗子駅が始発駅なので電車内で1時間分の仕事をそこで当てられるんです。そのおかげで移動時間も仕事の時間に含められてます。
崎谷:隈部さんにとって逗子という場所は色々なポイントでハマってる場所なんですね!
隈部:本当にその通りです。子供も山で遊んだり教育環境にもよく、自分の好きな趣味と仕事のメリハリがしっかりつけられてます!
隈部:かかわるすべての人っていうのは、社内のメンバー、クライアント、取引先はもちろんの事、働くスタッフの家族やクライアントの先のお客さんも含めて「かかわるすべての人」と考えています。社名に、「ジャパン」と入っている通り、皆で日本を今よりも良くしていきたいし、かつてそうだったように世界から憧れるところまで引き上げる、その小さな礎になれればと思っています。そうやって、輝く人であふれる日本にしていきたいという思いを込めて、仕事させていただいています。
イメージ・ジャパンはDVDなどのメディアサービスに加え、動画制作、WEB制作をしています。ただ、単に制作会社というよりは、前職のコンサルティングの経験も生かし、ブランディング、マーケティング戦略も含めた動画制作、WEB制作の依頼が増えています。まさに、お客様の事業を一緒に作っていくという感覚で行っています。この事業を通じて、人々が幸せ、豊かになる循環を広げていきたい、そういう思いです。
隈部:多くの会社が数値目標を掲げていますが、弊社ではそういう数値目標は大体的には掲げていません。ただ、一方で個々の数字は細かく見ているし、偏りすぎないよう中道を心がけていきます。数字は分かりやすい結果ですが、そこに囚われて、その過程を雑にしたくないというところから、このような経営をさせてもらっています。
先ほどの話に戻りますが、今の日本には知られざる魅力がたくさん眠っています。会社名の「イメージ」「ジャパン」という言葉の通り、イメージ(クリエイティブ、ブランディング)の力を使って、「日本を元気にすること」を目指しています。会社の目標と自分自身の目標は似ている部分が多いです。いま子供が5人いるので、彼らには楽しく生きながら、仕事でもお客様に喜んでもらえるといった背中を見せて、世界へ羽ばたいてもらいたいと思っています。
隈部:実は僕がイメージ・ジャパンに入社した時はホームページがありませんでした。当時は、売上の9割を1社に依存している状況でした。そうなるとその1社が契約打ち切ったらお終いみたいな感じじゃないですか(笑)。かなり危ない状況っていうのもあったので、僕が入って1番最初にしたのはWEBサイトの立ち上げです。
千葉の郊外という場所ながらも日本全国相手に仕事をしようと思い、WEBサイトを立ち上げ、そこから17年経った今、合計で8,000社程の取引と18,000を超える映像タイトルに携わりました。この実績は本当にWEBのおかげです。
しかし、その間、たくさんの試行錯誤がありました。イメージ・ジャパンという社名のままのサービスサイトを運営していたんですが、そのサイトは分かりやすく言うと「総合百貨店」みたいなサイトなんですね。映像のサービスは何でもありますよみたいな感じです。ただこれは専門性が無く、心に刺さらないんですよ。
便利だけど、他との差別化もされてないし、値段の安さで魅せるしかないといった悩みがありました。ここからやり方を変えようと思い、個々のサービスごとに「専門店」サイトを立ち上げていきました。同じような事業でも細かく分けて、お客さんの属性に合わせてサイトを作っていきました。
それを続けていく内に、現在は自社サービスで20サイトぐらい運営するようになりました。それぞれのサイトにはリスティング広告を殆どかけることなく、SEOだけで1位~5位ぐらいまでは表示されるようになってます。細部まで分けて専門サイトを作ることによって、お客様から見たら分かりやすく、社内でも余計なことをやらず、自分達の持つ力を発揮できる領域だけで勝負できるというポイントもあるので、そういった魅せ方をしているというのが、弊社のWEBマーケティングのやり方として注力している部分です。
そして、これから注目しているのは、日本に眠っている商品、技術、サービスを、ストーリーを使ったブランディングを活用して広げていく仕事です。大量生産、大量消費の時代が終わり、さらにコロナの影響で、多くの会社がこれからの未来に対して不安を抱えています。
僕らは再現性の高い、売り上げを上げるための定石をもとに、新しいテクノロジーを活用して、世界へ広げる仕掛けを作っている最中です。今まさに、世界最先端のECプラットフォーム「Shopify」でECを作ってますが、マーケティングオートメーション、ライブコマースなど、あらゆる方法で、その商品、サービスの魅力を伝えることがやりやすくなっているので、この方向はとても楽しみです。
株式会社イメージ・ジャパンの隈部社長は、次回「数珠つなぎインタビュー」コーナーに誰を紹介してくれるのか。お楽しみに!
今回は株式会社イメージ・ジャパン代表取締役隈部さんにインタビューさせて頂きました! 若い頃から自然に憧れ、自然が好きな隈部さんは現在、湘南・逗子に住まれています。自然と触れ合うことで仕事とのメリハリが付くということも教えて頂きました! また、株式会社イメージ・ジャパンのWEBに対する取り組みとして、1つのサイトだけではなく、事細かく分けたサービスをサイト毎に独立させて、そのサービスをわかりやすく理解してもらうといった、まさにイメージしやすい取り組みを行われていてライター自身も凄く勉強になりました!
株式会社イメージ・ジャパン 代表取締役
1978年 熊本県出身(その後千葉県で育つ)
高知大学卒業
上場直前だった飲食産業のコンサルティング会社に就職
その後に、父親が経営していた株式会社イメージ・ジャパンに入社
2017年に代表取締役に就任
株式会社イメージ・ジャパンのホームページはこちら
https://www.imagejapan.com/
サーフィン・ゴルフ好きのWEBライター
湘南・鵠沼海岸では毎朝毎夕サーフィンに日々ライティング業務も行っている。